発達障害のことが知りたい!

中学に入学して不登校になり、発達障害と診断されたmimiと家族の記録。

不登校状態の間、いろいろなときがありました

 不登校状態の間、いろいろなときがありました。ずっと二人、同じ家の中にいながら、分かり合えなくて、分かり合おうという意欲さえ失いそうになることもありました。
 それなのに洗い物をしていてもテレビを見ていても何をしていても、いつも頭の中に何かどんよりとした重たいものがあって、振り払うことができません。それで、一生懸命ふき掃除をしたり、熱心に鍋を磨いたりして、その間だけでも考えるのをやめようとしていました。
 刺しゅうや編み物もやってみました。手芸は昔から好きで、ことあるごとにやってみたいと思っていました。ところが残念なことに、わたしはあまりうまくありません。すぐに行き詰まってしまって続きませんでした。でも、わずかの間でも、思い悩みを忘れ、一生懸命になれるものがあったら少しは元気になれるかもしれないと思うようになりました。
 わたしが元気にならないと、mimiはますます元気になれない、という妙な思いこみもあったけれど、それより何より頭の中を空っぽにしたい! そうしないとどうにかなってしまいそうでした。それでペン習字を始めたのです。
 本当は書道が好きで、これまでに何回もやりかけてはやめていました。手芸は下手の横好きでしたが、字はそこそこ上達できそうでした。でも、書道は何かと準備がたいへんで続かなかった経験から今度は妥協してペン習字をすることに決めたのでした。
 なるべくお金をかけずに長く続けたかったので、いろいろ調べ、添削つきなのに破格のパイロット通信講座と日本書道教育学会の「ペンの力」という競書の会員になって課題を出品することにしました。この選択は大成功でした。添削は評判通り丁寧で、点数や段級がつくのも励みになってとても楽しいです。ペンは気軽に毎日練習ができ、字を書くときは、ほかのいろんなことを忘れて集中できました。しかもリーズナブル!
 正直手につかない日もありました。それでも思い直した日からまた書くようにして続けてきました。
 最近ペンを持つ度、始めた頃の苦しかったときのことが思い出されます。振り返ってみると、本当に一番つらかったときではなかったかと思います。今、その頃には考えられなかったような変化がmimiに起こっていることをしみじみと感じないではいられません。
 生きているということは、変わっていくことなんだなあ。わたしの字もあの頃から変わっただろうか。日々のわずかな歩みの大切さを思う。