発達障害のことが知りたい!

中学に入学して不登校になり、発達障害と診断されたmimiと家族の記録。

できることを把握するには

「できないことを嘆くよりできることをやろう」
mimiが非言語性学習障害と診断されて、そんなふうに思うようにしてから、はたと気づきました。

私自身「できることとできないこと」をしっかり把握するのって難しいことだなって……。
とくにどの程度無理がきくか、という加減がわかっているようでわからないのです。少々の無茶も勢いでがんばってそれが結果的に良かったこともあったように思うし、途中で破たんして失敗に終わることもありました。
両者にどんな違いがあったのか、いい年になって、それなりの経験をしても、よくわかりません。能力や体力が衰えてきている分、ますますわからなくなってきたように思います。

mimiにはそんな自分のことを棚に上げて「できることとできないこと」を意識して考えるように言っています。

いつも午後になってからしか起きてこなかったのに、最近のmimiは10:00にとりあえず起きるように決めて実行しています。起きてはくるものの動けずに半分寝ているような感じで数時間過ごし、目ざましに入浴してからごはんを食べ終わるのに14:00ぐらいまでかかっていました。

午後に起きてきたのでは、それこそ何もできずに一日が終わってしまうので、さすがに嫌になったようでした。ピアノの練習やゲーム作りに意欲があるからです。

そこで、きょうは起きてきてからすぐに入浴することにしたそうです。すると11:30にはピアノの練習をスタートすることができました。

動ける日と動けない日はどこが違うのか聞いてみた。眠たさはどっちも同じなんだそうです。起きてきて、こたつでうとうとしてしまうのがいけないと思ったそうです。結局やり方の問題なんでしょうか……。
こんなふうに考えて修正できるようになったなんてすごい!

以前、スーパー主婦の人たちが食器洗いや掃除機かけといった家事の一つひとつにかかる時間をはかって把握するという方法を紹介していました。そうすると、10分あったら何ができるかわかるようになって時間の無駄がなくなるというのです。それはその通りだけれど、なかなかすぐにやってみようとは思いませんでした。

ところが、在宅で記事を書くというお仕事をしていると、自分ができる仕事量がわかっていなければ、引き受けられるものかどうか判断できません。もっと仕事を増やしたいならしっかり自分ができることを把握するようにしなければと思っています。

やっぱり行き当たりばったりでただ何となく過ごしていてはいけないようです。
「やってみなくちゃわからない」とか
「何とかなる」
的な寛容さもときには必要だけれど、いつもいつもそれでは確実にできることも把握できずに自信が持てないということになりかねないということに今さらながら気づいたのでした。
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適度な困難!?

2月からピアノと家庭教師との勉強を再開しました。
相変わらず睡眠時間が不安定で、何の縛りのない自由の身でありながら、なかなか充実した時間が過ごせていないようす。
いざとなったら決まった時間に起きて出かけることができるという自信ができたおかげで、最近は大学進学という将来も描けるようになってきたのは喜ばしいことです。

ふつうの子なら、漠然とした将来のまま進学なり就職なりをしても、そこである程度の調整をしながら適応したり、修正したりしていくのだろうけれど、非言語性学習障害と診断されたmimiは、はたしてそんなふうに進路を決めていってよいのでしょうか。
発達障害の人の進路については、本人まかせや放任はいけないと書いてある本がありました。確かにそれはそうだろうとは思うけれど、いったい何をどんなふうにどれぐらいサポートすればよいのか、いつもながら手探り状態です。

とりあえず睡眠が安定しなかったら社会生活は難しいのではないか、と思うこともあれば、やるべきことがきちんと見つかれば自然とリズムができてくるような気がしないでもない。少なくとも短期ならだいじょうぶそうです。
でも、何かと極端にやり過ぎる傾向があるmimiのこと、また中学校の時のように無理がたたるようなことにならないだろうかという不安もぬぐえません。
でも、がんばることが大好きなmimiに、このまま疲れさせないようにということばかりを考えて、ぬるま湯のように楽な生活を続けさせていては、持っている力を何も発揮できないままになってしまいそうです。

そもそも受験勉強できるかな。大学に通えるの? 学部とか学校をどうやって選んでいけばいいんだろう……。

適度な困難を乗り越える体験を積み重ねていくのが理想です。という理屈はよくわかっているつもりです。その加減がわからないのです。
 
いつも同じことばかり言ってますが。
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強制なんてできません!

作文教室の電話指導では保護者の方とお話することもあります。

このごろはお母さんもお仕事で忙しいという場合がほとんどで、お母さんとはいえ子どものようすをつきっきりで見ているわけにはいきません。子どものようすを逆に聞かれることもしばしばです。できるだけいつもの電話でのようすをお伝えし、各家庭ごとに無理のない範囲で子どもと関わってもらえるよう提案しています。

ふだん、いっしょにいられない分、熱心さがうかがえるお母さんもいますが、なかには
「先生におまかせしているんだからうまくやってちょうだい。」
といった感じのお母さんも結構います。

共通しているのは、子どものためになることでも、子どもが嫌がるようなことを強制してさせるということが苦手です。
よく言われていることですが、本当にできません。というか、強制することが悪いことだと思っています。
気持ちはとてもよくわかります。わたしだって偉そうに言えません。わたし自身、お母さんたちに大切なことだからと言って強制なんてできません。

子どもが喜んでするようなことばかりさせてあげることができたらどんなにいいかと思います。何でも楽しくさせてあげられたらいいですよね。
でも、人間誰でもうるさく言われてやっと身につくことや、何度も叱れらたり励まされてやっとがんばれることがかなりいっぱいあって、それが大事なことだったりするものです。そのことをわたしたちはどこかでわかっていると思いませんか。
今の子どもたちだけでなく、今生きているわたしたちには、そういううざいことを我慢強く言ってくれる人が圧倒的に少ないことは確かだと思います。そこに人間関係の希薄さや寂しさを感じているのではないでしょうか。

わたしはまだうるさいことを言うおとながちらほらいた時代の子どもでしたので、うるさいおとなを心から憎み、ああいうおとなにはなりたくないなあという気持ちがずいぶんありました。
おとなはみんな喜んでうるさいことを言っていると思っていたし、いちいち言われなくてもわかっていることばかりだと思っていたからです。
ところが、この年になってやっと、言う側の忍耐と苦難がわかってきましたし、言われてはじめて気づくことがあるということも知りました。

いやがらせならともかく、どうでもいい人に、わざわざ煙たがられるようなことなんか言いません。これこそ愛情です。
だけど、今、愛情表現に困ってしまっているんだと思います。
昔のように単純にカミナリオヤジやオセッカイオバサンをやるわけにはいかなくなっているのです。時代の空気に合った新しい愛情表現が発明されなければいけないのでしょうか。

いつの時代も言いにくいけれど、ぜひ相手のために伝えたいというようなことがあったと思います。そんなときはできうる限りの知恵を絞って考え、でも最終的には反発をあえて受けるだけの腹をくくって「えい!」とばかりに心をこめて発してきたのだと思います。

愛情表現って、もしかしたら、いつの時代も洗練されないダサイものなのかもしれません。
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発達障害でも無理しない道

mimiの通信制高校の新学期は5月の連休明けから授業が始まります。
それまでの間、mimiはピアノの練習を再開します。勉強は細々とできる範囲で続けるようです。

相変わらず睡眠時間が長く不安定なので、思い通りにスケジュールをこなすところまではいきませんが、
ピアノの発表会参加と通信高校の単位取得がかなり自信になったようで、これから先の進路について、
いろいろな夢を口にするようになりました。

一歩も外に出られなかったときのことを思うと、本当に動けるようになりました。なりましたけれど、だからといって
ふつうの人のように活動できるかと言われたら難しいです。ここ一番だけ多少の無理はできるようになりましたが、
そういう無理は続きません。いつか破たんしてしまいます。いつも調子に乗って同じような失敗を繰り返してきました。
少し動けるようになると、本人もまわりも嬉しくなって、すぐ調子に乗ってしまうのです。

こういうときこそ、mimiに非言語性学習障害の特質があることを思い出して慎重にいかないといけないなあと思っています。
mimiは年々というか日々成長し変わっています。できることとできないことの判断がとても難しいです。
前にできなくても本当に今もできないかどうかわかりませんし、以前できたことでも日によってはできなくなってしまうこともあります。
訓練をして無理に慣れるようにするのではなく、もっとやりかたをくふうしたらmimiに合ったうまくいく道があるように思うのに、自分たちがしてきた方法や考えからなかなか抜けられないせいか、いいアイデアが見つけられなくてもどかしい感じがしています。

あせらないでいきたいです。
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悩みを聞いてもらいたくなったときに注意すること

通信高校の今年予定していた単位を無事取得できました。

後期のスクーリングとテストは、mimiの長い睡眠時間と短い勉強時間でどうなることかと思いましたが、
いつもながらいい成績でびっくりしました。

本当にmimiの頭の中は一体どんなふうになっているんだろう。
非言語性学習障害と言われて、その特徴がだいぶわかってきたつもりになっていたけれど、
こんなに何でもできるのに、ふつうの人たちと同じようにできないなんて、今でもふしぎでもどかしい。

発達障害ボーダーラインの人たちにとって、病院で診断を受けるというのは敷居が高いかもしれません。
本人や家族の気持ちが固まるのに相当な時間がいると思います。

ああだろうか、こうだろうか……
とずっとひとりで悩むのはしんどいです。

一人でも誰でもいいからその苦しい胸の内を話せる人がいるといいなあと思います。
誰にも言いたくないときは黙っていればいいけれど、一人で抱え込んでいるのがしんどくなるときがきます。

そのときは、相手に何も求めないで一方的にただ話せる人を見つけてみませんか。
身近な人がいいですか。
知らない人のほうが気楽でしょうか。

保健所の発達相談係や大学の臨床心理センターはリーズナブルなのでおすすめです。

で、相手が専門家であろうがなかろうが、基本的に相手は何もわからない人だと覚悟して、
事情を説明するのに年表や日記のような記録を用意していると便利です。
いつか誰かに話すときのために、ぜひ準備してみてください。

これまでのことをつらつらと説明するだけで、勝手に心が軽くなることもあります。
話すことで、気持ちの整理ができます。
相手にわかってもらおうとか、何かしてもらいたいと期待して行かないところがミソです。

でも、わたしたちの話を聞いてくれた人は、そのときからわたしたちといっしょに少しずつ成長していってくれる人でもあります。
やがて味方になってもらえます。そう思って気長なおつきあいを目指していきましょう。
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実は誰もわかってないことがわかってない

非言語性学習障害の困難の一つに情報処理の困難があります。mimiはびっくりするような記憶力の良さを発揮することがある一方で、日常のちょっとしたやりとりで混乱して動けなくなります。そのつまずくところやこだわってひっかかってしまうところには、きっと何か共通した特徴があるのでしょうが、そのときの気分や体調にも大きく影響するようで、なかなか特定するのは難しい。

知能テストでは「並列処理が苦手」という大ざっぱな指摘をされました。黒板を見ながら書くとか、音楽を聴きながら別のことをするといったような並列ではなく、時間までにやるべきことが複数あるような場合、何からどう動けばいいのかといった段取りがうまくできないようです。それで、一つずつ処理していく習慣をつけているところなのですが、ここで何を一番にするかといったことを考えるのも苦手なようです。

考えてみれば、こうした選択は誰にとっても難しいものです。わたしたちは日々選択しながら生きています。また、選択肢がたくさんあるということはいいことのように思っています。でも、聞いた話では、人間は5〜7以上の選択肢があると、思考停止してしまうそうです。

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高級食材店で行われた「ジャム研究」によると、24種類を並べた時と6種類並べた時とを比べると、品揃えの少なかった方が圧倒的に売れたというデータもあります。
また、人は目先にある不利益なものをわざわざ選んでしまったり、一番先に記述されているものを選ぶ傾向があることもわかっています。

こうしてみると、mimiが本当にほかの人と比べて処理能力が劣っているといえるのかどうか疑わしくなってきます。でもふつうの人は、わからなくても先に進む術を知っていますが、mimiはわからないこと一つひとつにいちいちこだわって進めなくなってしまうのです。その点は困ったことに違いないです。

mimiはことあるごとに自分のわからないことをまわりの人はみんなあたりまえのようにわかっている、と思ってしまうみたいで、何でもはっきりとした答えを欲しがります。確かにみんな、mimiよりわかっていることもいっぱいあるけれど、どんな人もmimiと同じようにわけのわからないことに遭遇し、はっきりしないぼんやりとした中をどうにかやり過ごしているんだということが今一つ呑み込めていない感じです。
そこんところがわかったら、またずっと楽になれるのになあ。
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気がかりを忘れる技術を身につけよう

一日中ふとんの中にいて苦しんでいたmimiが一人でバスに乗ってスクーリングに行くようになるなんて、想像もしていませんでした。先のことを考えないようにして、一日一日を何とかしのいできました。
mimiがこのままでいる限り、わたしは一生救われないような思いでいました。本人に動く意思がない以上、わたしにはできることがないように思いました。

mimiとふたり、ずっとうちにいて、mimiのことが一時も頭から離れないような生活を続けているうちに、やっぱりわたしは自分のことが大事になってきて、自然にmimiのことを忘れて自分のことだけに集中する時間を作るようにしていました。
いつも頭の隅っこに鉛のように重たくへばりついてくる気がかりを払しょくするのに効果的だったのは、掃除でした。とくに鍋磨き、ガスコンロの掃除、風呂掃除、ゆか拭きなんかは頭の中を空っぽにしてくれます。
ほかにもアクリルたわしをかぎ針で編むのもなかなか良かったです。そのころ、ペン習字も始めました。運動が苦手なわたしもこんなふうに手先やからだを使うのは、とても気分転換になりました。 

ほかの人にmimiのことを相談できるようになりました。誤解されることもだんだん気にならなくなりました。悪意のない場合がほとんどであることがわかったからです。自分たちがどんなふうに思われるか、というようなことをいちいち気に病むのもばかばかしいと思えるようになりました。

そうしているうちにわたしはやっと、少しずつ、自分はmimiに何もしてやれない、見守るしかできない、mimiがこの先どうなっても味方でいようという覚悟をしていったように思います。
わたしには何もできない……と開き直って楽になりました。わたしが機嫌よく元気でいることがmimiのためになる、と都合よく考えるようにして、mimiに動いてほしいとか考えてほしいとかいろいろ望まなくなったら、うそみたいにmimiのことが単純にかわいいと思えるようになったのです。こんな気持ちは赤ちゃんのとき以来、ずっと忘れてしまっていたみたいでした。

身近に不登校や発達障害の人がいて、毎日毎日しんどい思いをしている人は、まず、自分が楽になることを考えてみてはどうでしょう。それがきっと助けたい人をサポートする力になるのではないかと思うのです。