発達障害のことが知りたい!

中学に入学して不登校になり、発達障害と診断されたmimiと家族の記録。

自分を知ること

 順調にいけば、残り二日で今年のmimiの学校は終了です。
 思いどおりに行かないこともいっぱいありましたが、それでも一人でバスに乗って出かけられたことが大きな自信になったようです。日々の段取りについては、まだまだ混乱して疲れてしまうことがしょっちゅうです。でも、出かけると決めた日は、何とか起きてがんばりました。そのことに本人も満足しているみたいでよかったです。

 だけど、mimiはもともとむちゃくちゃがんばりすぎるところがあったので、その加減がまだまだ危うい感じではあります。主治医には、極端なハイテンションや絶好調を減らすように言われています。その反動が最悪の不調を招くことになるからです。

 非言語性学習障害のmimiは、ほどほどのちょうどいいがんばり具合を見つけるのが下手なのです。人の何倍も経験をして学習していかないと身につかないかもしれません。誰でもバランスをとるのは難しいものなのですが、とくにmimiはどういうわけか極端から極端に行ってしまいやすい特徴があるみたいで、それが疲労の原因になっているのだそうです。

 こんなふうに理屈で「極端になりやすい特質がある」ことを何回も説明してもらったこともmimiには効果的でした。mimiははじめ、自分のことがわからないと混乱していて、自分のことを見つめることも嫌がっていたのですが、主治医に、mimiの今ある状態がどういうものなのかということを、少しずつ何回もていねいに説明してもらったおかげで、だんだん自分と向き合えるようになったのです。

 そうなると、以前のように無謀な無理をしたがらなくなりました。ときどき完ぺき主義になりそうになりながらも、不器用なりにおっとりをとろうと気をつけるようになってきたところにうれしい成長が見られます。

 自分のことを誰かほかの人に教えてもらわなければいけないこともあるんだなあとあらためて思いました。やっぱり知ることは大事です。
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プライバシーの保護は個人を自由にするか

 不登校にしろ発達障害にしろ家族のプライベートな問題は、誰にも相談できずに抱え込んでしまいがちです。中にはいろんなところで相談していたにも関わらず、孤立してしまう場合もあるようです。
 相談に出向く人は、せっぱ詰まって助けを求めている状態だと思います。そうした人を失望させてますます孤立させてしまうようなことがしばしば起こってしまうのはどうしてでしょうか。

 原因の一つに、相談を受ける側の経験不足があるように思います。
 わたしもmimiの話をいろんな人に聞いてもらいましたが、職業や立場に関係なく、やっぱりいろんな人を見てきた経験のある人ほど話しやすく通じやすいように感じました。
 不登校の子どもたちやその家族は、必ずと言っていいほど不登校経験のある家庭教師や訪問ボランティアを望みます。このことからも経験の少ない人たちと問題を分かち合うことの難しさがわかります。

 誤解してほしくないのですが、経験の少ない人は相談者にならない方がいいと言っているわけではありません。ただ、経験者の経験をもっとみんなで共有できたらいいなと思うのです。いろんな人がいるという事例を学んでいけたら経験不足はかなり補えるのではないでしょうか。一番やっかいなのは、知らないことです。知らないことは、たぶん想像するのも難しいと思うのです。

 ここでもう一つやっかいなのがプライバシーの問題です。わたしはmimiに非言語性学習障害の困難をできるだけたくさんの人のいろんな助けを借りながら乗り越えていってほしいと思うようになりましたが、それはmimiの困難をカミングアウトするということです。
 このことについては今も悩みます。さじ加減がわからないからです。まったくわかってくれそうにない人には何も言わないほうがいいとアドバイスしてくれる人もいます。
 どんな人であれカミングアウトすることに抵抗を感じる人もいるでしょう。

 mimiの困難は、伝えたところでわかってもらえるかどうかわかりません。でも、伝えなければ、わかってもらえないとも思っています。確かにプライバシーも大事です。だけど人はほかの人と助け合って生きるものです。そうでなければ生きられないと思うのです。だからわたしは多くの人にmimiを助けてもらって、mimiもまたなにかできることで誰かの助けをして生きてほしいと思っています。
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発達障害独自の道と生き残り戦略

 非言語性学習障害と診断されたmimiは、無理に周囲に合わせてみんなと同じようにやろうとするとかえってうまくいかないということがわかってきました。じゃあどうすればいいのか、とずいぶん思い悩んできたけれど、結局は自ら独自の道を開発していくしかないような感じです。
 たいへんなイバラの道だとうんざりしていたのだけれど、まわりを見まわしてみたら、
「これからは今までのやり方は通用しない」
などと言い合い、みんなやっぱり苦労しています。なんだ、mimiだけがたいへんというわけではなさそうです。

 聞いた話では、他が真似出来ないようなものを身につけていると生き残りに有利なんだそうで、それって独自の道を見つけるしかないmimiが有利ってことにならないか!? かもしれない。
 そう思ったらイバラの道も意欲がわいてきそうです。

 もし安全で安定した道がはじめから敷かれていたら、それはそれで退屈かもしれない。そもそも、いつの時代もどんな人の人生もそんなふうに決まってしまっていることなどあるでしょうか。もし、あるように思っているとしたら、それは錯覚に違いありません。
 未来は、何が待っているかわからないところがよかったはず。いつから「先行き不透明」は不安の素になってしまったんでしょう。

 そう言えば、人間の脳は、恋愛のどきどき感と、危険にさらされているときのどきどき感とを簡単に取り違えて錯覚してしまうそうです。もしかしたらわたしたちの脳みそは、何が起こるかわからな未来についても不安なのか、それとも冒険心をくすぐるような楽しみなのか、判断できないのかもしれないです。何てざっくり大ざっぱなんでしょう!
 だから一日一生みたいな言葉が生まれたのですね……。何だかよくわからないお話になってしまいました。
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久しぶりのハイテンション

 以前から、mimiはテスト勉強の仕方がわからないと言うので、英語なら
「単語や慣用句を覚えて、テキストやレポートにある文章を書けるようにしておけばいいよ」
といったごく一般的なことをできるだけ具体的に繰り返し言うようにしていた。
「家庭教師の先生にも勉強の仕方をたずねてごらん」
とアドバイスしていた。何となくわかったようなようすをしているのだけれど、わたしはこんなあたりまえの説明をしていていいのかどうか疑問だった。

 案の定、英語のテストがあった日、
「何をどんなふうに勉強すればいいのかわからない!」
とずいぶん落ちこんで帰ってきた。まったくできなかったのかと思って聞いてみたら、全然そんなことはない。それなりにできているのに一部気になった問題があって、いつまでもその問題にこだわってしまったために時間が足りなくなって、ちょっとパニックになってしまったようだった。

 よくよく話を聞いているうちに、どんどんハイテンションになってきて、異常なほど完ぺきにできないと気持ち悪いといういけない症状があらわれてきていることがわかった。やばい!
 とうとう毎日何をどれだけすれば覚えられるのかわからないとか、覚えているのかどうか確かめられないといった細かいことを言い出し、しまいには
「勉強なんかしたくない」「大学も行かないほうがいい」
と投げやりに言う始末。
 もうこうなってしまうと落ち着くまでとりつくしまもない。久しぶりに出たのであわてた。つい何か言ってあげたくて
「満点とろうと思わなくていいんよ。」
などとどうでもいいことをあれこれ言う。でも、mimiには届かない。ああ、そうだった。
 しばらくするとmimiのヒートアップは嵐のように通り過ぎてしまった。待てばよかったのだ。ああ、そうだった。
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思いやる方法は一つじゃない

 mimiの後期のテストは来週が山場を迎えます。わかっていたこととはいえ、レポートの提出とテストの準備とスクーリングの予定が混んできて、だんだん眠れなくなってきているようです。よくがんばって登校し、勉強もしていたので疲れてきたみたい。しばらくなかった頭痛の発作も出てきました。

 でも、以前のように不機嫌に落ちこんでは意地になって無理をするようなことがなくなり、切り上げて休む決断ができるようになったのを見ると、成長したなあとほんとに嬉しくなります。だから少しぐらい戻りがあっても安心して見ていられます。
 わたしたち家族の受け止め方が変わってきたことも大きいと思います。非言語性学習障害のことがわかっていなかったときは、知らないうちに平気でmimiを追い詰めるような言動をしていました。

 しかし、mimiのわかりにくい特質を見抜き見守っていくのに、必ずしも非言語性学習障害とか発達障害のことを知らなくてもかまわないと思っています。たまたまわたしは非言語性学習障害という診断名をとおしてmimiの苦労がわかるようになり、mimi自身も自分のことを理解し受け入れられるようになったけれど、mimiを理解する手段はこれ一つではないと思うのです。

 mimiの家庭教師をしてくれている学生の指導をされている大学教授は、発達障害というものを信じていない感じです。ほかにもmimiの診断名を知らなくても、mimiの困難をよく理解してくれる人はたくさんいます。わたしもむやみに病気や障害と思い込み過ぎるのも危ないと思います。

 でも、わたしたちのように、診断されることでその特徴がつかめるということもありえます。とくにmimiのように体調を崩してしまうような人は医師との関わりも大切にしていきたいところです。
 要はサポートしようという気持ちが大事なのであって、道はどっちでも「あり」でいいと思うのです。
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ときにはバカっぽく

「必ず目標を達成する人」はどのように考えているのか | Lifehacking.jp

在宅ワークというと、売れっ子作家でもない限り、わずかな収入しか得られない内職のようなものしか思いつかなかったけれど、インターネットの登場で、その可能性が広がってきているように思う。

以前、テレビで大手IT企業が四国の古民家を借りて夏場のオフィスにしていたのを見たことがある。その地方はインターネットの回線がつながりやすくて快適なんだそうだ。河原で寝そべりながらノートパソコンを見たり、古民家の和室と東京のオフィスをつないで会議をしているようすは何かかっこよくてすてきだった。

非言語性学習障害のmimiのように発達障害系の人たちは、個別にはいろいろな能力を持っているにも関わらず、総合的な能力や社会性に困難があるために、すべての能力を否定されて発揮するチャンスを失ってしまっている場合が多いように思う。
こうした人たちの才能を無駄にすることは、かえって社会の負担を増やすことにつながり、たいへんもったいないことだと思っている。

インターネットのおかげでこれまでなかったサービスや環境が次々と生まれてきていることにわたしはとても期待している。どんな人も持っている能力を発揮できる環境ができるかもしれないからだ。外出や人と会うことが難しい人でも、インターネットでなら交流できるという人もいると聞く。

みんなができる範囲でできることをして助け合う社会になったら、そこは誰にとっても心地いい場所になるのではないだろうか。わたしもちょっとバカっぽく、そういう環境作りを目指して励んでいけたらと思う。
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わたしたちはわかりあえるか

「新型うつ」?休職期間中の部下が海外旅行。叱りつけてもいいか (プレジデント) - Yahoo!ニュース

ほかの人にはなかなかわかってもらえなくて悩んでいる人はいろんなところにいるようだ。甘えているとかわがままにしか見られないような振る舞いしかできないとしたら残念で悲しいことだ。

わたしもかつて「一人っ子だから甘やかしてるんじゃないの」と言われるのがいやで、mimiにはがまんできる子になってほしいとむやみに思っていたころがあった。mimiはもともとがまん強い子なのに、そのことに気づきもしないで、厳しくしなくちゃダメな子になると思いこんでいた。何かしら一生懸命だったけれど、今思えばまったくの見当違いだ。mimiのことよりもどうやら自分がちゃんとした母親と思われたがっていたフシがある。

自分では人の目なんか気にしない方だと思っていたのに、これでまったく自信がなくなってしまった。わたしも人並みに世間体を気にしていたみたいだ。
「そんなふうに思われたくない」とか「あんなふうに思われたい」というような思いは知らぬ間にふつふつとわいてくるものらしい。

もちろんわかってもらおうと努めるのはとっても大事なことだけど、それもほどほどがいいと思っている。会う人会う人についてまわって説明することなんてできないし、その人がどんなふうに思うかまではコントロールできない。ここ一番というときがきたら誠意を尽くして伝えてみようと思う。でも、とかく人はよく知りもしないことを無責任にああだこうだと言いたくなるもの、と思っていたほうが楽なのである。

mimiのことをとおして、わかってもらえない不満やらもどかしさを経験しているうちに、先人たちもまた同じような思いを抱えて試行錯誤してきたことを思った。めざましい結果があるわけでも何でもないのに、そうした時間の積み重ねそのものがとても尊いもののようなふしぎな感じを覚える。それが何よりも慰めと勇気と支えになっている。

生命という名の動的な平衡は、それ自体、いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に時間軸の上を一方向にたどりながら折りたたまれている。それが動的な平衡の謂いである。それは決して逆戻りのできない営みであり、同時に、どの瞬間でもすでに完成された仕組みなのである。
「生物と無生物のあいだ」より