発達障害は精神論では救えません
mimiのようにわかりにくい発達障害(軽度発達障害、広汎性発達障害、非言語性学習障害などさまざまな呼ばれ方をしています。)は存在しないと言う人がいます。それだけならいいのですが、発達障害の様々な症状は親の対応が悪かったからだと言われていることに心が痛みます。
親の対応が悪くなかったかと言われれば、自分のことを振り返ってみたら悪かったことだらけです。やさしい虐待 - 知りたい! 発達障害のことと言われても仕方ないようなこともしていました。それもこれもmimiの特質を知らなかったからです。
まわりのおとなたちの対応で解決することはたくさんあります。しかし、間違った理解のまま、よかれと思ってしたことが子どもをますます追い詰めてしまっていることをもっと知るべきだと思います。
何度も書いていますが、軽く見える発達障害だからといって、しつけとか言い聞かせとか、まして精神論で救うことはできません。そんなことをしたらますます追い詰めることになります。
なぜなら本人がどうしてうまくできないのかわからずに誰よりも苦しんでいるからです。
mimi自身「自分に根性が足りないからできない」と長い間思っていました。想像を絶する自己否定でした。「やればできる」と励ますだけでは見捨てているのと同じなんです。
能力はあっても発揮する方法がわかりません。一般のやりかたでは作動しないのです。どうすればうまくできるか。どうすれば楽にできるか。それを一人ひとり見つけていかなければいけないのです。
人生は誰でも試行錯誤です。自分の道を見つけるのに苦労するのはみな同じだと言うかもしれません。その通りです。でも、mimiのような人は、今行われているような一般的な教育だけでは持っている能力を発揮することが難しいのです。
能力がありながらほかの人と同じように動けないもどかしさにずっと苦しんでいます。自信を失っています。だから少し丁寧できめ細かいサポートが必要なんです。
こうした手間をわたしは無駄だとは思えません。いろんな人がいろんなかたちで参加できる社会は豊かです。その道は、あればあるほどいいと思いませんか?
mimiは自分がほかの人とどんなふうに違っていてどんなところが弱いのか、といった特質を知らされ受け入れられるようになってから見違えるように元気になりました。わたしはこのことがとても大事だと思っています。
本人と周囲の人たちが特質を理解し、受け入れるのは簡単なことではありません。時間もかかります。でも、これがスタート地点です。
特質を知る目安として専門家たちの分類や診断はそれなりに利用価値があると思います。ただし、まだまだ確立されているものではありませんから参考程度にしておくことをおすすめします。それよりも目の前の救いたい人をよく観察し、あきらめないでいろいろ試してみることです。その経験はできるだけ多くの人と共有していけたらいいなあと思います。