読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

発達障害のことが知りたい!

中学に入学して不登校になり、発達障害と診断されたmimiと家族の記録。

強制なんてできません!

作文教室の電話指導では保護者の方とお話することもあります。

このごろはお母さんもお仕事で忙しいという場合がほとんどで、お母さんとはいえ子どものようすをつきっきりで見ているわけにはいきません。子どものようすを逆に聞かれることもしばしばです。できるだけいつもの電話でのようすをお伝えし、各家庭ごとに無理のない範囲で子どもと関わってもらえるよう提案しています。

ふだん、いっしょにいられない分、熱心さがうかがえるお母さんもいますが、なかには
「先生におまかせしているんだからうまくやってちょうだい。」
といった感じのお母さんも結構います。

共通しているのは、子どものためになることでも、子どもが嫌がるようなことを強制してさせるということが苦手です。
よく言われていることですが、本当にできません。というか、強制することが悪いことだと思っています。
気持ちはとてもよくわかります。わたしだって偉そうに言えません。わたし自身、お母さんたちに大切なことだからと言って強制なんてできません。

子どもが喜んでするようなことばかりさせてあげることができたらどんなにいいかと思います。何でも楽しくさせてあげられたらいいですよね。
でも、人間誰でもうるさく言われてやっと身につくことや、何度も叱れらたり励まされてやっとがんばれることがかなりいっぱいあって、それが大事なことだったりするものです。そのことをわたしたちはどこかでわかっていると思いませんか。
今の子どもたちだけでなく、今生きているわたしたちには、そういううざいことを我慢強く言ってくれる人が圧倒的に少ないことは確かだと思います。そこに人間関係の希薄さや寂しさを感じているのではないでしょうか。

わたしはまだうるさいことを言うおとながちらほらいた時代の子どもでしたので、うるさいおとなを心から憎み、ああいうおとなにはなりたくないなあという気持ちがずいぶんありました。
おとなはみんな喜んでうるさいことを言っていると思っていたし、いちいち言われなくてもわかっていることばかりだと思っていたからです。
ところが、この年になってやっと、言う側の忍耐と苦難がわかってきましたし、言われてはじめて気づくことがあるということも知りました。

いやがらせならともかく、どうでもいい人に、わざわざ煙たがられるようなことなんか言いません。これこそ愛情です。
だけど、今、愛情表現に困ってしまっているんだと思います。
昔のように単純にカミナリオヤジやオセッカイオバサンをやるわけにはいかなくなっているのです。時代の空気に合った新しい愛情表現が発明されなければいけないのでしょうか。

いつの時代も言いにくいけれど、ぜひ相手のために伝えたいというようなことがあったと思います。そんなときはできうる限りの知恵を絞って考え、でも最終的には反発をあえて受けるだけの腹をくくって「えい!」とばかりに心をこめて発してきたのだと思います。

愛情表現って、もしかしたら、いつの時代も洗練されないダサイものなのかもしれません。
にほんブログ村 子育てブログへ