発達障害のことが知りたい!

中学に入学して不登校になり、発達障害と診断されたmimiと家族の記録。

逃げ場を失ってわかったこと

 「どちらに行くか悩んだら難しい方に行け」という岡本太郎さんの有名な言葉があるそうです。わたしはことごとく楽な方を選んできたなあと思います。少しでもややこしいことになりそうな予感がしたらすぐにそこから逃げ出す算段を自動的に始めるのが常でした。それがわたしの生きる知恵というかパターンでした。

 振り返ってみると、どうしてもう少し粘ってみなかったのかと思うことでいっぱいです。粘ったところでうまくやれた自信はまったくありませんが、今ならその過程で経験したであろう紆余曲折はとても貴重なことだったのではないかなどと思えるのです。いつも何もしないうちにあきらめてばかりいたのは、まったくおもしろみのない人生だったように思うのです。
 しんどくなるのが嫌だったのか、こてんぱんに負けるのが嫌だったのか、競争するのが嫌だったのか、もめるのが嫌だったのか、とにかくどれも嫌だったわたしは、そのときまったく自覚してなかったけれど、なんて意欲に欠けるつまらない若者だったのかしらと思います。

 そんな調子で生きてきたわたしがどうしても逃げるに逃げられなかったはじめてのことというのがmimiなのでした。体調不良に始まり、不登校、非言語性学習障害と立て続けに思いがけないできごとが次々起こりました。
 子どもというのは、とくに何もなくても生活にいろんなハプニングを運んでくるものです。よりによってこんな不出来な母のところにmimiは運悪く生まれてきてくれたのでした。
 正直何度も逃げたくなりましたし、投げやりな状態になったこともありました。でも、さすがに自分のことのように放り出すことはできなかったのでした。

 mimiとは向き合わざるを得ないという状況の中で、わたしはこれまでどんなに逃げてばかりいたかということを思い知りました。逃げてばかりいたおかげで大きなトラブルにも合わず、大変な苦労もしないでのほほんとしておれたのですが、たいして得るものもなかったなあと思っています。それどころか自分の忍耐力のなさにはほんとに情けなくなりました。おとなになって、しかも母親になって、何度泣きべそをかいたかしれません。
 今も暗中模索、悩みの真っ只中で、泣きたくなることもあるけれど、それだけではないことを知りました。嬉しいことも笑えることもおもしろいことも負けないぐらいあることがわかったのです。だからもうあんまり逃げたいとは思わなくなりました。

 こうしてわたしはmimiといっしょに育ってきたのでした。親は子どもに育てられるというのは本当です。おばちゃんになったら自動的にたくましくなると思ったら大間違いやで。
 「若い時の苦労は買ってでもしろ」とまでは言いませんが、今苦労してる人、大変な目に合っている人に言いたいです。それは無駄にはなりません。むしろすごい力になることうけあいです。
 逃げることと楽することしか考えてこなかったわたしが一つ山と谷を越えてみてやっとわかったことです。
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