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発達障害のことが知りたい!

中学に入学して不登校になり、発達障害と診断されたmimiと家族の記録。

わたしたちはわかりあえるか

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ほかの人にはなかなかわかってもらえなくて悩んでいる人はいろんなところにいるようだ。甘えているとかわがままにしか見られないような振る舞いしかできないとしたら残念で悲しいことだ。

わたしもかつて「一人っ子だから甘やかしてるんじゃないの」と言われるのがいやで、mimiにはがまんできる子になってほしいとむやみに思っていたころがあった。mimiはもともとがまん強い子なのに、そのことに気づきもしないで、厳しくしなくちゃダメな子になると思いこんでいた。何かしら一生懸命だったけれど、今思えばまったくの見当違いだ。mimiのことよりもどうやら自分がちゃんとした母親と思われたがっていたフシがある。

自分では人の目なんか気にしない方だと思っていたのに、これでまったく自信がなくなってしまった。わたしも人並みに世間体を気にしていたみたいだ。
「そんなふうに思われたくない」とか「あんなふうに思われたい」というような思いは知らぬ間にふつふつとわいてくるものらしい。

もちろんわかってもらおうと努めるのはとっても大事なことだけど、それもほどほどがいいと思っている。会う人会う人についてまわって説明することなんてできないし、その人がどんなふうに思うかまではコントロールできない。ここ一番というときがきたら誠意を尽くして伝えてみようと思う。でも、とかく人はよく知りもしないことを無責任にああだこうだと言いたくなるもの、と思っていたほうが楽なのである。

mimiのことをとおして、わかってもらえない不満やらもどかしさを経験しているうちに、先人たちもまた同じような思いを抱えて試行錯誤してきたことを思った。めざましい結果があるわけでも何でもないのに、そうした時間の積み重ねそのものがとても尊いもののようなふしぎな感じを覚える。それが何よりも慰めと勇気と支えになっている。

生命という名の動的な平衡は、それ自体、いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に時間軸の上を一方向にたどりながら折りたたまれている。それが動的な平衡の謂いである。それは決して逆戻りのできない営みであり、同時に、どの瞬間でもすでに完成された仕組みなのである。
「生物と無生物のあいだ」より