電話だけのおつきあい
作文の生徒たちとは会うこともなく電話でしか話さない、ちょっとふしぎな関係である。ネット上のおつきあいが盛んで慣れている人たちからすれば、会ったことがないことぐらい特別なことではないかもしれない。わたしも何が何でも顔を突き合わせるコミュニケーション以外認めない派ではない。本当なら知り合うことがなかった遠く離れた人たちともこんなに簡単に話し合えるなんて、すごいことだと思う。
でも、会わない人と、どんなふうにおつきあいすればいいのかとまどうことも多い。
作文の生徒たちには、mimiのように「よしよし」と頭をなでるわけにいかない。離れていると、映像でもない限り言葉がすべてになる。作文の講師とはいえ、言葉の重大さが身にしみる。顔を合わせるふつうのつき合いでも何かと難しい人間関係である。顔を合わせないから気が楽ということもあるけれど、伝えることの難しさは変わらないかそれ以上だ。
保護者の方からクレームが相次いだことがあった。「あっさりしすぎ」「あまりほめてくれない」といったものだ。どっちも気にかけていたことで、うまくできていないという自覚もあったので、ショックというか「やっぱり」という思いもあってずいぶん落ちこんでしまった。
明るく元気よく、いいところはどんどんほめることを基本にしているのだけれど、これがなかなか難しい。小さい子どもの中には電話で話すのが苦手な子が少なくない。だんまりでひと言も話してくれないことも珍しくない。見たこともないわたしを相手に無理もないことである。
一方、思春期の子どもたちもまた極端に口数が少ない。余計なことはもちろん、たずねたことにもろくに答えない。
もちろん、このような子どもたちばかりではないけれど、週に一回10分足らずの時間で心を開いてもらうのは、わたしにとって至難の技なのである。もう作文の話をするどころではない。
いずれにせよ、信頼されてリラックスしてもらえる度量がわたしには欠けていることは認めざるを得ない。相手が子どもとはいえ、むやみにプライバシーに立ち入るようなことはできないし、かといって相手のことをわからないまま一方的にしゃべることもできなかった。それで相性が悪いせいと開き直って投げやりになってしまうこともときどきある。
でも、これでいいと思っているわけではない。うまくないところは多々あるにせよ、本当は一人ひとりと誠実に向き合い、できるだけのサポートをしたいと思っている。そのことが伝わるような仕事をしていきたいと願っている。
個人指導のよさは、個人に合わせたきめ細かい対応ができることである。そのことを実感してもらうためには何をするべきだろうか。頼りになるとまではいかなくても、せめて「役に立つ」「使える」と思ってもらうにはどうすればいいか、日々悩んでいる。