発達障害のことが知りたい!

中学に入学して不登校になり、発達障害と診断されたmimiと家族の記録。

phaのニート日記にびっくりした


 わたしはmimiがからだをこわして不登校になったとき、一般社会からはじかれたような思いがして、ずいぶんショックを受けた。それからいろんなことがあって、どんなふうに生きるかなんて大したことではなく、生きていることそのものに価値があると思えるようになったつもりでいた。でも、わかってなかった。

 「働かざる者喰うべからず」ということに、もうまったく何の疑いもなく縛られていたことに今さらながら気づかされた。完ぺきにマインドコントロールされていたようだ。

・「働かない人もある程度社会の中で気楽に暮らせる社会のほうが、働く人にとっても生きやすい」
・「一定数(生活に困ってない)無職がいることは社会の精神的な豊かさに繋がると思う」

というようなことを何のひがみも負け惜しみもなく、さらりと言えないというか、思いつきもしなかった。 
 働きたくても働けない人のことは考えることがあったけれど、働きたくないと言い切る人のことまで想像してなかった。そういう人のことは、正直認めてなかったと思う。
 
 でも、 

「別に働かなくても楽しく生きてていい」ということを伝えるためには、僕自身がいい年して毎日ぶらぶらしていてロクに働いてないけどそれでも何とかなるしすごく楽しそうに生きられるっていうことを自らの身を持って実証する必要があると思っているので、これからも頑張って毎日ぶらぶらしていきたいです。頑張ってできるだけ働かないでいたい。

小飼弾「働かざるもの、飢えるべからず。」を読んで - phaの日記より
というphaさんを、一生懸命生きてないなんて言えない。ひたむきな印象さえ受けてしまう。妙な感じ。

 世間と違う生き方をするのはとってもたいへんなことだ。長く生きていれば、そこのところは嫌というほどわかってくる。生きたいようにしたいように生きることは、必ずしも楽な道ではないのだ。それなのになぜか単純に怠けていると思い込んでしまっていた自分に一番ハッとした。
 働かなくても生きていける世の中になったら、ナマケモノだらけになって破滅するという話が必ず出てくる。確かに働かない人は増えるかもしれない。でも、みんな同じようなナマケモノになるかどうかは疑問。破滅するかどうかはもっとあやしい。
 わたしが信じてきた「働かざる者喰うべからず」は、倫理観というよりむしろ脅迫観念に近い気がしてきた。