発達障害のことが知りたい!

中学に入学して不登校になり、発達障害と診断されたmimiと家族の記録。

不登校母の会

 中学校の不登校母の会に約半年ぶりに出席した。わたしたち母親と心理士の先生、学校の先生の計六名のメンバーは、当初からほとんど変わらない。たがいの近況を話し合うだけのことなのだが、回を重ねるごとに親しみが増す。
 今年度初めての集いだった。春はみんな調子が悪い。新しい学年、新しいクラス、新しい先生と順調なスタートがきれるなら苦労はない。つまずくのがお約束のようになっている。新しい春を迎え、ひそかな期待に胸をふくらませた分、変わらない現実に打ちのめされることになる。本人のショックは、家族の期待が乗ってさらに大きく重いものになる。たいていそんな調子で新年度が始まる。
 この春がんばって高校進学を果たした子どもたちは壁にぶつかっていた。そのうちの一人は、中学三年生になって登校するようになっていた。が、新生活にはいくつもの壁が立ちはだかる。
 弱い、甘い、辛抱が足りない、やろうと思えばできる、などと言って励ますのは簡単だ。わたしもそんな時代がずいぶん長くあったと思う。でも、こうした励ましは、なすすべを持たないおとなが理由もなく唯一の拠り所にしている安易な言葉に過ぎない。相手には何の救いにもならないばかりか最悪の対応であることに気づくには相当な時間が必要だ。
 わたしもmimiを甘やかしていると思われることが嫌だった。mimiのことよりも自分の評価を気にしたものである。そのことが誰にも助けを求められない原因にもなっていた。どちらかと言えば、社交性に乏しく、世間体をさほど気にしないわたしでさえこんな具合になってしまうのだから、たいていの人は世間の目を気にしてしまうのではないだろうか。もし、mimiが不登校になっていなかったら、私自身、たぶん今も世間と同じような偏見を持っていたと思う。
 だから、偉そうに「わかってほしい」と大声で訴えるなんてことはとてもできそうにない。それほどわたしがmimiを理解するに至った道のりは長いものだった。
 わたしの知っている不登校の子どもたちは、確かに成長するのに余計な手間も時間もかかる。でも、みんな真剣に苦しんで歩もうともがいている。怠け者は一人もいない。待てるなら待ち、ちょっと丁寧に親切に教え導く環境があれば、きっとしっかり成長し、いずれは手を離れることだろう。赤ちゃんにはどんな人も寛容になれる。多くの人に寛容な社会は、どんな人にとっても暮らしやすいのではないか。甘い考えだろうか。自立する人が増えれば、少なくとも社会保障費は節約できる。そんなふうに考える人が増えるといいな。