発達障害のことが知りたい!

中学に入学して不登校になり、発達障害と診断されたmimiと家族の記録。

『発達障害と呼ばないで』

発達障害と呼ばないで (幻冬舎新書)

発達障害と呼ばないで (幻冬舎新書)


mimiのような軽度というか微妙な発達障害といわれている人たちのことについて書かれている最新の本です。
過剰な診断は、利益より弊害のほうが大きいのではないかという問題提起がなされています。
微妙な発達障害については、症状や対応について、あいまいで役に立たない情報がほとんどだった中では待望の本だと思います。

ただ、わたしのまわりには、診断したがらないというか、診断を避ける医師の方が多い感じでしたので、そんなに何でもかんでも発達障害と診断する風潮があったとは驚きました。
地方は発達障害の専門科どころか、精神科医がわずかしかいないので、診断に慎重になっているというよりは、よくわからないから診断できないという心もとない感じです。
一方で、いっしょに悩んで考えてくれる人との出あいもありました。


現実には不適応を起こしているのに、「なんでもない」とか、「大したことない」みたいな言い方をされて傷つくことが多かったので、mimiが「非言語性発達障害」と聞いたこともないような診断名をつけられたとき、
わたしはショックとともに少しほっとしたのをおぼえています。
傷つくようなことを言う人たちは、ただ無知なだけで、その後親身になって力になってくれる人もいました。


わたしの場合、診断名がmimiの独自性や生きづらさを理解するきっかけになったのは確かです。

ただ、障害か個性かというところでは、いつも悩んでいたので、この本を読んで、mimiは非定型発達なんだと納得できました。

こんなふうに、少しずつ少しずつ、いろんな人がいっしょに生きていることをお互いに知っていけるといいなと思います。

mimiは、体育のスクーリング、自然史同好会の旅行、ピアノ発表会と忙しくこの春と夏を過ごしました。
ふつうの高校生のように、将来の進路について少しずつ考えることができるようになってきて、目を見張るような進歩です。

主治医には、相変わらず慎重に考えるようくぎをさされています。

気を使うところが違う……


人間関係が苦手といわれている発達障害ですが、mimiの非言語性学習障害は、おしゃべりで愛想のいい人が多いと言われています。mimiも一見にこにこしていてそこそこ社交的に見えたりします。でも、実はとてもストレスを感じていると言います。

 mimi本人は、他人にとっても気を使っているつもりでいますが、一般的な気の使いようとはちょっと違うということがわかってきました。
 相手に変に思われないようにしようというところでは本当に気を使っています。それだけを見ていると、気配りのできる人のように思いますが、実は相手がどんなところでどうして変に思うのかというところがまったくわかっていないので、ただやみくもにびくびくしているだけだったりするんです。

 mimiは、愛想がよくそこそこ話もする方なのでわかりにくいのですが、実は他人にあまり興味がなく関心が薄いので、他人の行動や思考が予想できないみたいなのです。よくいえば、やじ馬根性が乏しいんです。他の人がどんなことに興味があって、どんなことを知りたがっているか、といったようなことは、まったくどうでもいいみたいなんです。
 たとえば友だちが誰のことを好きで、誰とつきあっているかとか、お小遣いはどれぐらいもらっているかとかいったようなことにもまったく興味を示さず詮索もしないので、ある意味お行儀がいいんですが、多くの人がほんとのところは興味しんしんなことに無関心過ぎるというのは、人の本音とか本心にも無関心ということにもなり、その結果、人の心の動きが想像できないということになるみたいなんです。で、何でも「わからない」ですませてしまうのです。

 興味のないことに「もっと関心を持って」とか「空気を読め」なんていうのはちょっと酷なので言いませんが、もう少しほかの人の目を意識できるようになると、だいたいまわりの人がどんなことを考えているのかがわかってきて、むやみにおそれたり気を使い過ぎて疲れることも減るだろうになあと思うのです。でも、どんなふうに説明すればいいのか難しい……。
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思いがけない場面で食い違う非言語性発達障害


4月15日、通信高校の新学期が始まりました。新しい教科書を受け取る日です。数日前からmimiは緊張のせいで体調は最悪です。不安で眠れず、昼間は起き上がることができません。
まあ、それでも当日は出席したところが以前とは違います。帰宅後はほっとするどころか、これから始まる学校生活を思ってか、どうしようもなく不安なようす。疲労でぐったりです。ろくに話もしません。

このところ、ほとんどmimiの生活に口出しすることがなかったつもりでいました。ところが、mimiはいつもわたしの言うことがころころ変わるので、どうすればいいのか、どうしてほしいのかわからないといったようなことを言い出しました。こうしたやりとりは、これまで何回もあったことでした。ここ最近は、ずいぶん分かり合えてきたと思っていたのに、またしても同じことを言われてびっくりしました。

とくに体調に関して、「寝なさい」と言ったかと思うと、「少しは運動した方がいいのではないか」と言って見たり、「休みなさい」と言うこともあって、どんな違いがあって、わたしの言うことがこうもコロコロ変わるのかさっぱりわからないと言うのです。
mimiはコワイぐらいわたしの言った言葉を正確に覚えています。確かにわたしはmimiの言うようにいろんなことを言いました。mimiはそのときの状況はあまり覚えていません。たぶん、わたしはそのときのmimiのようすを見て、いろんなことを言ったと思います。理由もそのつどくどいくらい説明しているつもりでした。その瞬間はmimiも納得していることもあったように思います。でも、mimiには、どうしてそんなにいろんな違うことを言われるのか、結局よくわかっていなくて混乱させただけだったようでした。

mimiは具体的で正確なことは得意だけれど、言葉と状況がわたしのようには結びついていないことをあらためて思い知りました。いい加減とか適当とかその場の状況に合わせてといったあいまいなことは、どうも不安で苦手なようです。気温が15℃より低ければ上着を着るとか、夕方16時までに起きられなかったときはピアノの練習は休むというように、明確な基準がないと決められないみたいです。いい加減のかたまりみたいなわたしには、mimiのように基準を作るほうがたいへんです。でも、mimiはそうだったなあと思い出しました。
 
mimiの特質について、おおよそのことはわかっていたつもりだったけれど、具体的な生活の場面でどんなふうにあらわれてくるのかということについては、まだまだわかっていないことがいっぱいです。ついつい自分のいい加減で大ざっぱな調子で接してしまうので、気づかないところでちぐはぐになってしまっているようです。
身近にいるわたしでさえこんな感じなので、外の世界はmimiにとって、さぞ疲れることだろうと思います。

どきどき、そわそわの春

徳島県が全国初の発達障害生徒の専門教育高校開校 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

 どうして徳島県なんでしょう!?  生徒さんは全国から集まって来るのかな……。どんなことをどんなふうに教えるのか知りたいです。この先困難もあると思いますが試行錯誤しながら続くといいなと期待してます。
 世間一般の人たちが発達障害の特質に慣れて、「こんな人もいるんだ」と、みんながあたりまえに対応できるようになることを願ってます。

 mimiは春めいてきてから不調です。夕方になっても起きてこない日もあります。聞いてみると、新学期が近づいてどきどきしているそうです。今年は「体育のスクーリングに行く」と決心しているからだろうと思います。 勇気を出して一回行ってみたら、たぶんどうってことないということがわかって楽になるのだろうけれど、きっとそういうこともわかっているのだろうけれど、動き出すまではどきどきするんですよね。このどきどきにじっと耐えてるところみたいです。

 新しいこと、はじめてのことって、楽しみというより不安になることのほうが多いかもしれません。それでも無知でこわいもの知らずだった若いころは、期待も大きかった気がします。
 mimiはどうなんだろう。ただただつらいだけなのかなあ。ふつうの子のように、回を重ねれば慣れるものなんだろうか。それともmimiの脳機能の特徴で、緊張や不安を避けることはできないのだろうか。本人はいつでもみんなと同じようにできるつもりでいるのに思うようにいかないのはさぞもどかしいことだと思う。
 明るいお日さまの光とサクラの花は、うきうきと同時にどこかそわそわ落ち着かなさを運んできます。未来は見えないからいいのか、見えた方がいいのか、どっちかな……。

気長に見守るのってむずかしい

 発達障害とそうでない人とでは、脳の活動の仕方がまったく違うことが一目瞭然でわかるようになったそうです。活動している場所が違うみたいです。客観的な診断ができたら「気のせい」とか言われたり思いこんだりする二次障害が避けられるのでいいなあと思います。
 先日は「うつ病」の人の脳の特徴がわかるようになり、診断に役立っているというニュースを見てびっくりしたばかりでしたが、本当に日に日に新しいことがわかるようになってきて嬉しいことです。
 
 mimiの脳みそものぞいてみたいものです。どうすればもっと元気に生活できるようになるのか知りたい。
 以前に比べれば精神的には落ち着いてきましたし、外出や人と接することも徐々にできるようになってきました。先日は、同級生と自転車で本屋さんに出かけるというはじめての経験をしました。
 それでもやっぱり動きがにぶいというか、睡眠も不安定で、疲れやすいように見えます。勉強やピアノや遊びなど、やろうとしていることが増えてきているせいかもしれません。
 きっと普通の人とは別のやり方をしないとうまくいかないんだろうなあと思っています。だからもっとぱっと成果が出るようないい方法はないものかと思わない日はありません。ただただようすを見ながら過ごしているのを見守っているというのはほんともどかしいです。
 などとわたしがあせるとろくなことがないのでおとなしくしていようと思ってます。

 ちょっと元気になってくると、もっと動けるようになったらいいのに、とすぐにどんどん欲が出てきてしまうんですよね。反省です。これまでも時間が薬だったのかもしれません。「気長に」をいつも心に留めておかなくては……。

楽天的に春を待つ

去年11月の発表会以来、3か月ぶりにピアノのレッスンに行きました。
まだたどたどしい譜読みの段階でしたが、mimiが先生に連絡をして決めました。
次はもう少し譜読みができたときにまた約束することになったそうです。
スクーリングが始まる連休明けぐらいまでピアノを集中的に練習する予定です。
ほかのこととの兼ね合いがこれからピアノを続けていく上での課題になってくると思います。

来年の生徒証用の写真を撮り、教科の申し込みをするために登校しました。

ついこの間まで例年にない寒い日が続いていて春はまだまだという感じだったのに、ここ数日は三月並みの暖かさです。季節の変わり目は体調管理がいっそう難しくなりそうです。

午前10時ごろに何とか起きるには起きてきていますが、動けないでいる時間も長いです。本人は、起きていることにひとまず満足しているようです。以前のようにあせって欲を出さず、小さい成功に喜べるようになってきたのかもしれません。

本当に心配や不安は、考え出したらきりがありません。無理にでも楽天的にしていくのはいいことかもしれません。わたしも見習おうと思います。

カウンセリング

三カ月ぶりに主治医のカウンセリングを受けました。スクーリングを無事終えて単位がとれたことや、午前中に起床するようにしていること、一人でバスに乗って登校したこと、それから初詣の人ごみや試験の後にちょっと落ちこんでしまったことを報告しました。

それから、あんまり調子がいいので、だんだん欲が出てきて、将来の進路についても考えるようになってきたことを話しました。それで、どんなふうに進めていけばいいのかわからなくて聞いてみました。

家庭教師と同じく、いきなり社会人を目指すより、進学して大学生活にチャレンジしてみるのはいいことだというふうに言われました。
ただ、非言語性学習障害のmimiにとって、複数のことを同時進行していかなければいけない受験勉強の段取りをmimiはどこまでできるかが未知数なので、これからの一年、模試を受けたり予備校に行ってみるなりいろんなことをしながらようすをみて考えていこうと言われました。思ったとおり、受験がかなりのネックになりそうです。

でも、受験ができないようだったら、そのあとの学校生活や社会生活はなおさら難しいような気がします。ほかの子たちのように、みっちりと予備校に行って勉強するということはできなくても、mimiのペースでゆっくり準備していければいいかなあと思います。今さら急ぐこともないですし……。

中学校卒業のとき、ほとんど不登校だったmimiが突如がんばって校長室での卒業式に出席しました。その後、通信高校の作文と面接の試験にのぞみ、入学式にも出席して
「さあ、がんばるぞ!」
と意気込んでいたかと思ったら、突然がくんと行けなくなってしまいました。
今思うと、ハイテンションで何とかがんばってきた緊張の糸が切れてしまったんだと思います。

mimiが目覚ましく動いているときは、ハイテンションで無理している可能性があるのです。だから主治医には毎回絶好調を目指すのではなく、そこそこラインを長く維持することを心がけるように言われています。

この一年のmimiの成長ぶりは目覚ましく、中学校を卒業した春のことを思い出させます。またカクンときやしないかと心配しないわけでもありませんが、それなりに不調な時期もありながら、一年を通じて上向いてきたことを思うと、やっぱりこれまでとはちょっと違うと思っていいでしょう……。
ときどきは調子が悪いときもありながら、一進一退しているぐらいがちょうどいいのでした。すぐに調子に乗って欲張ってハヤルmimiの気持ちにいっしょになって乗っからないように気をつけようと思ってます。

主治医に会った日は、なぜかいつも反省モードです。