発達障害のことが知りたい!

中学に入学して不登校になり、発達障害と診断されたmimiと家族の記録。

どきどき、そわそわの春

徳島県が全国初の発達障害生徒の専門教育高校開校 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

 どうして徳島県なんでしょう!?  生徒さんは全国から集まって来るのかな……。どんなことをどんなふうに教えるのか知りたいです。この先困難もあると思いますが試行錯誤しながら続くといいなと期待してます。
 世間一般の人たちが発達障害の特質に慣れて、「こんな人もいるんだ」と、みんながあたりまえに対応できるようになることを願ってます。

 mimiは春めいてきてから不調です。夕方になっても起きてこない日もあります。聞いてみると、新学期が近づいてどきどきしているそうです。今年は「体育のスクーリングに行く」と決心しているからだろうと思います。 勇気を出して一回行ってみたら、たぶんどうってことないということがわかって楽になるのだろうけれど、きっとそういうこともわかっているのだろうけれど、動き出すまではどきどきするんですよね。このどきどきにじっと耐えてるところみたいです。

 新しいこと、はじめてのことって、楽しみというより不安になることのほうが多いかもしれません。それでも無知でこわいもの知らずだった若いころは、期待も大きかった気がします。
 mimiはどうなんだろう。ただただつらいだけなのかなあ。ふつうの子のように、回を重ねれば慣れるものなんだろうか。それともmimiの脳機能の特徴で、緊張や不安を避けることはできないのだろうか。本人はいつでもみんなと同じようにできるつもりでいるのに思うようにいかないのはさぞもどかしいことだと思う。
 明るいお日さまの光とサクラの花は、うきうきと同時にどこかそわそわ落ち着かなさを運んできます。未来は見えないからいいのか、見えた方がいいのか、どっちかな……。

気長に見守るのってむずかしい

 発達障害とそうでない人とでは、脳の活動の仕方がまったく違うことが一目瞭然でわかるようになったそうです。活動している場所が違うみたいです。客観的な診断ができたら「気のせい」とか言われたり思いこんだりする二次障害が避けられるのでいいなあと思います。
 先日は「うつ病」の人の脳の特徴がわかるようになり、診断に役立っているというニュースを見てびっくりしたばかりでしたが、本当に日に日に新しいことがわかるようになってきて嬉しいことです。
 
 mimiの脳みそものぞいてみたいものです。どうすればもっと元気に生活できるようになるのか知りたい。
 以前に比べれば精神的には落ち着いてきましたし、外出や人と接することも徐々にできるようになってきました。先日は、同級生と自転車で本屋さんに出かけるというはじめての経験をしました。
 それでもやっぱり動きがにぶいというか、睡眠も不安定で、疲れやすいように見えます。勉強やピアノや遊びなど、やろうとしていることが増えてきているせいかもしれません。
 きっと普通の人とは別のやり方をしないとうまくいかないんだろうなあと思っています。だからもっとぱっと成果が出るようないい方法はないものかと思わない日はありません。ただただようすを見ながら過ごしているのを見守っているというのはほんともどかしいです。
 などとわたしがあせるとろくなことがないのでおとなしくしていようと思ってます。

 ちょっと元気になってくると、もっと動けるようになったらいいのに、とすぐにどんどん欲が出てきてしまうんですよね。反省です。これまでも時間が薬だったのかもしれません。「気長に」をいつも心に留めておかなくては……。

卒業

 お世話になったスクールカウンセラーの先生の移動が決まり、とうとう中学校での母の会は解散することになりました。はじめはおたがいにおそるおそる集まっていただけの集会で、これと言って大した話をしているわけでもありませんでしたけれど、いつの間にかとても救われていました。とうとうわたしもこの中学校を卒業しなければいけなくなりました。
 
 先生やお母さんたちとは連絡先を交換して、また会う約束をしましたが、帰り道、何十年ぶりに、何だかさびしくて心細いあの卒業のときのせつない気持ちを思い出してしまいました。

 mimiは世間の人のテンポとはずれていますが、精神的には落ち着いて過ごしています。毎日ピアノの練習だけは欠かさず熱心にしています。何をどれだけするかがよくわかっているようです。ほかの教科の勉強もそんなふうにどうすればいいのかがわかれば、きっとまじめに取り組めるようになるのではと思っています。

 ただ、どれぐらいのことが毎日できるか、まだまだ未知数です。受験勉強は特殊なので、どんなふうに進めていけば無理なくできるのか模索中です。

 短期集中でできるものと、やっぱり少しずつの積み重ねが必要なものとがあると思うので、いい方法が見つけられるといいなと思います。

 とにかく、学校の勉強とか試験とか、これまでほとんど縁がなく、経験も少ないので、またみんなと同じようにやろうと思わないで、マイペースでどこまでやれるかです。時間がかかるのは覚悟しなくてはいけないと思っています。

 来年は、体育のスクーリングに挑戦です。これが一番のヤマかなあ……。それにしても、毎日運動不足でやせ細っているので、ちょっと心配です。

楽天的に春を待つ

去年11月の発表会以来、3か月ぶりにピアノのレッスンに行きました。
まだたどたどしい譜読みの段階でしたが、mimiが先生に連絡をして決めました。
次はもう少し譜読みができたときにまた約束することになったそうです。
スクーリングが始まる連休明けぐらいまでピアノを集中的に練習する予定です。
ほかのこととの兼ね合いがこれからピアノを続けていく上での課題になってくると思います。

来年の生徒証用の写真を撮り、教科の申し込みをするために登校しました。

ついこの間まで例年にない寒い日が続いていて春はまだまだという感じだったのに、ここ数日は三月並みの暖かさです。季節の変わり目は体調管理がいっそう難しくなりそうです。

午前10時ごろに何とか起きるには起きてきていますが、動けないでいる時間も長いです。本人は、起きていることにひとまず満足しているようです。以前のようにあせって欲を出さず、小さい成功に喜べるようになってきたのかもしれません。

本当に心配や不安は、考え出したらきりがありません。無理にでも楽天的にしていくのはいいことかもしれません。わたしも見習おうと思います。

カウンセリング

三カ月ぶりに主治医のカウンセリングを受けました。スクーリングを無事終えて単位がとれたことや、午前中に起床するようにしていること、一人でバスに乗って登校したこと、それから初詣の人ごみや試験の後にちょっと落ちこんでしまったことを報告しました。

それから、あんまり調子がいいので、だんだん欲が出てきて、将来の進路についても考えるようになってきたことを話しました。それで、どんなふうに進めていけばいいのかわからなくて聞いてみました。

家庭教師と同じく、いきなり社会人を目指すより、進学して大学生活にチャレンジしてみるのはいいことだというふうに言われました。
ただ、非言語性学習障害のmimiにとって、複数のことを同時進行していかなければいけない受験勉強の段取りをmimiはどこまでできるかが未知数なので、これからの一年、模試を受けたり予備校に行ってみるなりいろんなことをしながらようすをみて考えていこうと言われました。思ったとおり、受験がかなりのネックになりそうです。

でも、受験ができないようだったら、そのあとの学校生活や社会生活はなおさら難しいような気がします。ほかの子たちのように、みっちりと予備校に行って勉強するということはできなくても、mimiのペースでゆっくり準備していければいいかなあと思います。今さら急ぐこともないですし……。

中学校卒業のとき、ほとんど不登校だったmimiが突如がんばって校長室での卒業式に出席しました。その後、通信高校の作文と面接の試験にのぞみ、入学式にも出席して
「さあ、がんばるぞ!」
と意気込んでいたかと思ったら、突然がくんと行けなくなってしまいました。
今思うと、ハイテンションで何とかがんばってきた緊張の糸が切れてしまったんだと思います。

mimiが目覚ましく動いているときは、ハイテンションで無理している可能性があるのです。だから主治医には毎回絶好調を目指すのではなく、そこそこラインを長く維持することを心がけるように言われています。

この一年のmimiの成長ぶりは目覚ましく、中学校を卒業した春のことを思い出させます。またカクンときやしないかと心配しないわけでもありませんが、それなりに不調な時期もありながら、一年を通じて上向いてきたことを思うと、やっぱりこれまでとはちょっと違うと思っていいでしょう……。
ときどきは調子が悪いときもありながら、一進一退しているぐらいがちょうどいいのでした。すぐに調子に乗って欲張ってハヤルmimiの気持ちにいっしょになって乗っからないように気をつけようと思ってます。

主治医に会った日は、なぜかいつも反省モードです。

春を待つ

一人っ子のmimiが中学生になってから不登校になり、今は通信高校の生徒なので、うちは学校行事にまったく縁がありません。受験シーズンだのインフルエンザ大流行で学級閉鎖などというニュースはどこか遠い国のお話みたいでした。

ほんの少し前まで、そのことがとても物悲しく、自分たちだけ社会から放り出されたような何ともいえない疎外感にさいなまれたものでした。うちの中だけ季節感がなくなり、時間が止まってしまったようでした。

それが少しずつ薄れてきたのは、mimiが中学校を卒業してからでしょうか。義務教育からの解放感のせいなのか、徐々にふっきれて、わたしだけでなく、mimi本人も少しずつ軽くなっていったようでした。

とはいえ、卒業してからの一年は、結局まったくスクーリングに行けないまま一つも単位が取れずに終わってしまい、ちょっとmimi本人はがっかりしていました。でも、わたしはそれほど暗い気持ちになりませんでした。mimiの精神状態が落ち着いてきているのが嬉しかったからです。

そして二年目の今年はというと、学校だけでなく、ピアノの発表会や自然史同好会といった活動にも参加するという目覚ましい一年になりました。

来年度の受講指導を受けるシーズンが来ました。これは必ず本人が参加しなければ来年の受講ができません。去年は、わたしが学校に連絡をして本人に付き添って行きました。
通信制の先生方は、事情のある生徒たちには慣れており、とくに気を使うようすもなく、ごく自然に親切に対応して下さり、あきらめないで卒業を目指すように励ましてくれました。mimiも少しほっとしたようで、スクーリングに行く覚悟をしていました。
二月でしたが春めいた暖かい日で、少し薄着して出かけた覚えがあります。

今年は数年ぶりに格別寒い冬になりました。いつにもまして春が待ち遠しいです。

先日、1月まで作文の生徒だった受験生から志望高校に合格したという嬉しい知らせを受けました。入試の小論文が上手に書けたからだととても喜んで、わたしにまですてきなフラワーアレンジメントをおくってくれました。(恐縮です。)春色ピンクでとてもいい香りがしています。

この春に関東から九州に引っ越す生徒もいます。仕事や家庭の事情ではなく、避難するということでした。まわりにはそうした人たちが結構いるのだそうです。

また、中学の時から9年間ひきこもって苦しんでいる青年とその家族が出てくるドラマを見ました。身につまされました。ドラマはわずかな光を感じさせるものになっていましたが、いまだ何の光も見出せない人たちは、どんなふうに感じたでしょうか。

今年の冬は日本中、それぞれにいろんな意味で真冬の厳しさを味わっている人たちがいることと思います。
でも、ありがたいことに、いつか必ず雪はとけて春がやってきます。
そのときまでしぶとくしたたかに何とか待ち続けようではありませんか。

できることを把握するには

「できないことを嘆くよりできることをやろう」
mimiが非言語性学習障害と診断されて、そんなふうに思うようにしてから、はたと気づきました。

私自身「できることとできないこと」をしっかり把握するのって難しいことだなって……。
とくにどの程度無理がきくか、という加減がわかっているようでわからないのです。少々の無茶も勢いでがんばってそれが結果的に良かったこともあったように思うし、途中で破たんして失敗に終わることもありました。
両者にどんな違いがあったのか、いい年になって、それなりの経験をしても、よくわかりません。能力や体力が衰えてきている分、ますますわからなくなってきたように思います。

mimiにはそんな自分のことを棚に上げて「できることとできないこと」を意識して考えるように言っています。

いつも午後になってからしか起きてこなかったのに、最近のmimiは10:00にとりあえず起きるように決めて実行しています。起きてはくるものの動けずに半分寝ているような感じで数時間過ごし、目ざましに入浴してからごはんを食べ終わるのに14:00ぐらいまでかかっていました。

午後に起きてきたのでは、それこそ何もできずに一日が終わってしまうので、さすがに嫌になったようでした。ピアノの練習やゲーム作りに意欲があるからです。

そこで、きょうは起きてきてからすぐに入浴することにしたそうです。すると11:30にはピアノの練習をスタートすることができました。

動ける日と動けない日はどこが違うのか聞いてみた。眠たさはどっちも同じなんだそうです。起きてきて、こたつでうとうとしてしまうのがいけないと思ったそうです。結局やり方の問題なんでしょうか……。
こんなふうに考えて修正できるようになったなんてすごい!

以前、スーパー主婦の人たちが食器洗いや掃除機かけといった家事の一つひとつにかかる時間をはかって把握するという方法を紹介していました。そうすると、10分あったら何ができるかわかるようになって時間の無駄がなくなるというのです。それはその通りだけれど、なかなかすぐにやってみようとは思いませんでした。

ところが、在宅で記事を書くというお仕事をしていると、自分ができる仕事量がわかっていなければ、引き受けられるものかどうか判断できません。もっと仕事を増やしたいならしっかり自分ができることを把握するようにしなければと思っています。

やっぱり行き当たりばったりでただ何となく過ごしていてはいけないようです。
「やってみなくちゃわからない」とか
「何とかなる」
的な寛容さもときには必要だけれど、いつもいつもそれでは確実にできることも把握できずに自信が持てないということになりかねないということに今さらながら気づいたのでした。
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